名刀24振りの記憶を探って

<天下五剣>・・・「童子切安綱」「鬼丸国綱」「三日月宗近」「大田太光世」「数珠丸恒次」この五振りの日本刀を「天下五剣」と呼んでいる。室町時代に、特に優れた名刀として定められた。平安時代から鎌倉時代に活躍した名工の入魂の作である。

 

 ・童子切安綱・・・天下五剣の筆頭名刀忠の名刀。伯耆国{鳥取県西部)の大原安綱の最高傑作で平安時代に作られたとみられるが詳細は不明。刃長二尺六寸五分)(約80cm)の太刀である。

「童子切」という異名は、丹波大江山に棲む鬼神・酒呑童子を退治した事に由来する。

平安時代中期、源頼光が酒呑童子の首を切落とした太刀こそが「大原安綱」後に「童子切安綱」の異名を冠せられることとなる名刀である。現在は国宝に指定され、東京国立博物館に所蔵されている。

 ・鬼丸国綱(邪気祓いの守護刀)・・・山城国{京都府南部)の刀匠・粟田口国綱による、鎌倉時代の傑作。持ち主は鎌倉幕府初代執権・北条時政であったとも、五代執権時頼であったとも伝えられる。時政は夜毎小鬼が夢に現れ、悪夢に悩まされていた時、時政の枕元に一人の老人が現れて「私は粟田口国綱の太刀の化身である。小鬼を退治したいが錆ついており、鞘~出ることができない」という。翌朝国綱を手入れし抜き身のまま立てかけておいた。その夜突然国綱の太刀が倒れ、そばにあった火鉢のの台座にかたどられた小鬼の像の首を斬り落としたのである。その後小鬼は現れず、時政は体調を取り戻した。この国綱の太刀は「鬼丸」と名付けられ、邪気を祓う宝刀として大切にされた。現在は皇室御物として、宮内庁が所蔵している。

 ・三日月宗近・・・平安時代に活躍した山城国の刀匠・三条宗近の太刀。11世紀から12世紀の作とするのが一般てきである。刃文を光にかざすと、刃縁に三日月のもようが浮き上がり「三日月宗近」の由来となった。天下五剣の中でも、最も美しい日本刀といわれている。

 足利将軍家の家宝として継承され、豊臣秀吉に伝わり、秀吉の正室北政所(高台院)が所蔵していた。北政所がなくなると、遺物として徳川秀忠に贈られ、徳川家の家宝として伝わる。現在は国宝に指定され、東京国立博物館が所蔵している。

 

 ・大典太光世・・・平安時代の後半、筑後国【福岡県南西部)の刀匠・三池光世の作。重厚でダイナミックな姿をしている。足利将軍家に伝わった大典太光世だが、13代将軍・義輝暗殺ののち、豊臣秀吉、前田利家の手に渡ったとされる。以来前田家伝来の文化遺産を管理する公益財団法人前田育徳会により保管されている国宝である。この日本刀が秀吉から前田利家に贈られた経維については、不思議な言い伝えがある。利家の娘が正体不明な病に冒された。利家がこの日本刀を借りて枕元に置いたところ病は良くなった。ところが秀吉に太刀を返すと病が再発する。借りては返し借りては返しを繰り返していたが、秀吉がこの太刀を前田家に贈ると姫の病気も完治したという。他にも利家の他の姫の病気治癒に使われたとか、前田利常の長女の病気治療に使われたなど諸説あり、病魔を祓う太刀として、あがめられていたといわれる。

 

 ・数珠丸恒次・・・平安時代に活躍した備中国(岡山県西部)の刀衝・青江恒次の太刀。日蓮宗の開祖・日蓮が、信者より、護身用として寄贈された。身延山を開山する際、「破邪顕正の剣」として、柄に数珠を巻いた事から、「数珠丸」の名がついたとされる。日蓮亡きあと身延山久遠寺に保管されていたが享保年間(1716~1736)に行方不明となる。その後大正九年(1920)兵庫県のある刀剣鑑定家が発見し、数珠丸を久遠寺返したい意向を伝えたが久遠寺は受け取りを拒否する。現在は重要文化財に指定され、兵庫県尼崎市の本興寺が所蔵している。