天皇が与える節刀の厳粛さについて

刀にどれだけの意味がこめられ、どれだけ大切にされていたかを、天皇が与える「節刀」の厳粛さで確認してみましょう。「節刀」とは昔、軍の総司令官や海外派遣の大使に対して、天皇が一時的な権力委任の証として貸し与えた刀のことをいいます。別名「標の太万」とも呼ばれていました。延暦16(797)年に成立した『続日本紀』には和胴2(709)年3月、時の帝である元明天皇が陸奥鎮東将軍に巨勢朝臣麻呂を、征越後蝦夷将軍に佐伯宿禰石湯を任じ、軍令と節刀を貸し与えたという旨の記述が確認できます。これが文字として記された最初の節刀であると言われています。節刀はあくまで一時的な権限移譲であるため、任務終了後は返却するというのが決まりでした。養老2(7 18) 年成立の 「養老律令
には「返納が1日遅れたら笞打ち50回、10日遅れたら抑留1年」という、返却が遅れた場合の罰則が示されています。それだけ刀の存在の大きさや込められた思い、刀が厳粛に扱われていたということがよくわかります。武家が政権を握ってから軍司令官任命は征夷大将軍がおこなっていたため、朝廷による節刀の儀式はおこなわれなくなりましたが、幕末維新期の明治新政府軍と旧徳川幕府勢力との武力衝突が起こった中でまたもや復活しました。慶応4(1868)年2月15日、東征大総督に任じられた有栖川宮熾仁親王に貸与され、本州が明治新政府の勢力下に完全に入った同年11月12日、親王から明治天皇に返納されました。これ以後は陸海軍のトップにあたる元帥に授与される元帥刀へと切り替わっていきました。

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