皇太子に継承される剣について

天皇家に伝わる三種の神器というものがあります。草那芸之大刀はそのうちのひとつであり、八咫鏡・八尺瓊勾玉とともに皇位継承の証となっています。そして、実は天皇家にはこのほかにも、皇太子が立太子された証として持つ剣があります。その剣の名前を壺切御剣といいます。 剣の授与は寛平5(893) 年4月2日、後の醍醐天皇である敦仁親王の立太子に対して、その時の帝である宇多天皇が、太政大臣・藤原基経から献上された刀を授けたのが最初であり、これ以降慣例化されたと言われています。 その後、 同剣の継承なしでは立太子することは不可能になりました。 このことを象徴する事件が長和5(1016) 年に起こっています。後一条天皇が敦明親王を皇太子に立てたところ、左大臣・藤原道長が、「皇太子は藤原氏出身の女性を母親としていない」という理由で壺切御剣の献上を拒否したという事件です。天皇の外戚(母方の祖父)として権力独占を目論んでいた道長にとって、藤原氏と姻戚関係のない天皇の誕生は歓迎できなかったのです。刀の献上ができなかったため、敦明親王を皇太子にすることがきませんでした。このように、権力の象徴としても刀は重要な役割を持っていたことが歴史からよくわかります。現在の壺切御剣は2代目だそうです。初代は康平2(1059) 年の宮廷火災で失われてしまい、その後、藤原教通に献上されたものに替えられたと言われていいます。この2代目の壺切御剣も火災による損傷などを乗り越えて現在にいたっていますが、非公開のため、形状など剣の詳細等は不明なのです。重要な任務に就くものにしか伝わらない刀、現在にも受け継がれているにも関わらず、公開されていないという厳粛さが刀の魅力をさらに高めていると考えられるでしょう。

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