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語り継ぐ想いと、最高傑作

October 11, 2018 admin 0

日本刀にまつわる数々の伝説や逸話などというものを、一度は耳にしたことがあるという人は多いのではないでしょうか。日本刀というものは、多く人の「思い」とつながっていると言われてきたようです。「古備前高綱太刀」と呼ばれている刀は、古刀期である鎌倉時代に、備前にて、名工・高綱が鍛えたとされており、別名「滝川高綱」と呼ばれていることでも有名なのではないでしょうか。滝川とは、織田信長の家臣、滝川一益のこととされており、太刀は甲信地方の有力者であった武田勝頼を追討した際に信長より下賜されたものとされており、これにより一益は織田家における関東の旗頭となったと言われています。また「後家兼光」と呼ばれている刀は、豊臣秀吉、直江兼続、上杉家、山内容堂というように次々と人の手から人の手に渡ったとされている刀であり、その間にどのようなドラマがあったのかと思いを巡らせずにはいられない日本刀であるのではないでしょうか。また、そのような数ある歴史の逸話残る日本刀を含め、現存する日本刀の中の名刀五振りは「天下五剣」と呼ばれており、各剣の名称と特徴は有名な逸話として語り継がれているのではないでしょうか。「童子切安綱」と呼ばれるものは、国宝第1号に指定された名刀であり、名工、大原安綱が鍛えたとされているようです。名前の由来は、源頼光が「酒呑童子」の首を斬ったこととされています。「鬼丸国網」は、北条時政が所有していたものとされ、夢で時政を苦しめる鬼を斬った刀であると言われているようです。「数珠丸恒次」は、日蓮宗を開いた日蓮上人ゆかりの名刀。仏僧である上人は刀身を鞘に収めたまま、杖として使っていたとされている。「大典太光世」平安時代の名工、三池典太光世の作とされ、足利将軍家より豊臣秀吉を経て、加賀前田家に渡ったとされている。「三日月宗近」は、平安時代の名工、三条宗近の作とされており、天下五剣中で最も美しい剣として有名なのではないでしょうか。

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『いっしん虎徹』

September 1, 2018 admin 0

2004年に第11回松本清張賞を受賞し、映画化もされた『火天の城』(文芸春秋)という小説をご存知だろうか。この小説の執筆を経て山本兼一氏は「職人がおもしろい。万鍛冶のことを書きたい」と思った。そして、『いっしん虎徹』(文芸春秋)が生まれた。「刀の基本的な作り方は時代を越えて伝わっている。けれど鉄は時代によってまるで違う。虎徹は古鉄卸しの技法が得意た刀工で古い鉄を再生させている。虎微を選んだので、鉄の日本史が書けるから江戸期の新しい鉄は、虎徹であれば古い鉄 。虎徹は万工としては出来に差があるのが難だが、すばらしい虎徹はとても品格がある」。応永以降に刀なしと言った江戸期の刀工水・水心子の言葉を証明するかのように、山本氏は古い鉄を愛していた。なお、山本兼一氏は1956年、京都市生まれで、同志社大学卒業、出版社勤務、フリーランスのライターを経て作家になった人物である。

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天下三作の1つ 江義弘

August 5, 2018 admin 0

南北朝時代の越中で作刀の腕をふるった江義弘は、『享保名物帳』で天下三作に数えられているものの、室町初期までの『銘尽(めいづくし)』(観智院本)や『長享銘尽』といった刀剣書ではその名が明らかになっていません。 室町中期になってようやく、『能阿弥本』『往昔抄』などに登場してきます。 一般的にはその名はほとんど知られていなかったと推測されますが、それでも 『享保名物帳』で藤四郎・正宗と同格に許価されたのはなぜなのでしょうか。 『享保名物帳』の編纂を任された本阿弥家の13代光忠は、本阿弥家の中興の相として名高い9代光徳の鑑定限を信頼し、光徳の評価を大いに参考にしていたと考えられています。 この本阿弥光徳こそが、江義弘の品格を見 抜いて藤四郎・正宗と同じ評価を与えたのです。

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研ぎ・仕上げ

July 5, 2018 admin 0

・鍛治押し(鍛冶研ぎ) 刀工が、粗く研ぎながら、形を整えます。 このとき、刀身全体の形や反り、刃文を確認し、微調整をします。 また、荒研ぎを行います。 ・刀身の彫刻 刀身に彫刻を入れる場合は、棟側に入れます。 下絵を描いて、タガネなどで刻みます。 ・茎仕立て ヤスリやセンを使って茎の形を整え、表面をきれいに仕上げます。 そして、柄に納めたときに抜けにくくするための鑢目(やすりめ)を刻み、柄を固定する目釘穴を開けます。 最後に、銘切りタガネなどを使って、刀工の名前や製作した日付などを刻みます。 ・仕上げ研ぎ ここからは、研ぎ師による仕上げの研ぎです。 研ぎに使う砥石は、粗い物から細かいものまで10種類くらいあり、粗い物から順に細かくして行きます。 研ぎは、刃の部分は白くなるように、地の部分は青黒くなるまで研ぎます。 また、日本刀は包丁のような平らな刃ではなく、丸み(肉置き)があります。 この丸みが切れ味につながっていますので、平らな砥石ではなく、真ん中が膨らんだ砥石で、最新の注意を持って研ぎます まずは下地研ぎです。 最初に下地研ぎで使われる砥石は「伊予砥」が有名で、錆を落とし、形を整え、刃をつける作業を行います。 次に、砥石の目を細かくして、中名倉砥、細名倉砥と順に研いでいき、研ぎ目を消していきます。 下地研ぎの最後は内曇砥で、刃と地の部分を研ぎます。この工程で、焼刃がはっきりしてきます。 次の研ぎは仕上げ研ぎです。 仕上げ研ぎでは、さらに目の細かい砥石や道具を使用して磨いていきます。 刃艶は、小さくした刃艶砥で刃を磨きます。 地艶も、小さくした地鉄砥で肌模様、地沸、地景など地鉄を磨き出します。 […]

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「魂」から生まれた作法、礼法

June 5, 2018 admin 0

「打刀」と「脇指」その両方を帯刀する「大小」の習慣が生まれたのは、天正年間のことと言われているようです。その後、間も無くして新刀期と呼ばれる時代に入っていくとされています。大小は、江戸時代になる頃には武士の儀礼とされていたようで「大小拵え」と呼ばれるように、柄・鐔・鞘などの外装を整えるような習慣ができたようです。また、外出時には常に帯刀し、家でも座の近くの刀架に掛け、トイレなどの時にも脇指を携えたほど、肌身離さずの道具とされていたようです。しかし、中には刀を置くべき場所が決められていたのもわかってきているようです。それは、蹴鞠の場、風呂、貴人のそば近くに伺候する場では、打刀を差さないのが作法とされていたようです。また、茶席などは脇指なども帯びず、丸腰で入るのが作法とされていたようです。そういった場合は、待合にある刀掛けに掛け、その座の主人は自分の小者に渡し、脇指は客の刀の下に立てかけるのが作法とされていたようです。武士の刀剣の礼儀作法で重要視すべき点は、他人の佩刀を見る時にあると言われているでしょう。現在でも、所蔵の刀などを見る際の様々な作法にこの礼は受け継がれていると言われていますが、相手が刀を出して見せたら、すぐに自分の刀を出して相手の脇に置き、相手を丸腰にさせないという礼儀でしょう。刀は、身分証であるより先に、武士の護身具であり、それより先に「魂」とされたことで、いかなる時も相手の武士への礼を疎かにせず、形式張った作法が重要視され、また、守られてきたのではないでしょうか。その精神性は、現在でも「剣道」や「居合道」のうちに、作法・礼法が生きていなければならないのではないでしょうか。

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日本刀の鑑賞のポイント

March 13, 2018 admin 0

日本刀を鑑賞するうえでおさえておきたいのが、「地肌(「地 がね 鉄」と表現することもある)」である。 地肌とは、折り返し鍛錬を行うことによってできる「地(焼き入れされていない部分)」の模様のこと。一見何の模様もないように見える「地」だが、よく見てみる と、日本刀一本一本に、独特の模様が存在する。これは、炭素の量の異なる材料を 組み合わせて折り返し鍛錬を行うことで生じる模様で、炭素が多い部分が黒っぽく 見えるために生じる現象である。 材料となる鋼をどのように折り返して鍛えるかによって模様が決まることから、 作られた時代や地域を知る手がかりの一つになる。 いためは「板目肌」「杢目肌」「柾目肌」「綾杉肌」「梨子地肌」などに大別されるが、溶かし いがた た鉄を鋳型に流し入れて作る鉄製品には決して見られない独特の模様であり、日本刀鑑賞の醍醐味ともいえる。

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枕刀

February 4, 2018 admin 0

古くから、日本刀は「魔除け」の意味をもつ。『源氏物語』にも、光源氏が悪霊にとりつかれる気配を感じて目を覚ますと、灯も消えてしまって気味悪く思ったので、魔除けのために太刀の鞘をはらって置いたという一節がある。この時代にも、刀剣に込められた霊力が信じられていたことを物語っている。 現代でも、日本刀のもつ魔除けの力を尊ぶ風習が残っている。 地域や宗派にもよるだろうが、家族や親戚など近しい人を亡くしたことがある方は、故人を安置した布団の上、納棺したあとは枢の上に、刀が置かれているのを見たことはないだろうか。これは「枕刀(まくらがたな)」といって、魂の抜けた故人に悪霊が近寄ってこないようにするための守り刀である。葬儀社が用意してくれる小刀を使うのが一般的だが、故人が生前大切にしていた 愛刀や、誕生のときに授けられた守り刀を枕刀として葬儀で使用されることもある。

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名匠・正宗

January 17, 2018 admin 0

少しでも日本刀に興味のある人なら、「正宗」の名を知らない者はいないのではないだろうか。鎌倉時代末期に相模国(神奈川県)鎌倉で活躍した刀匠といわれるが、その経歴には謎が多い。 正宗は、在命中はそれほどの評価を得ておらず、死後、豊臣秀吉によってその名が広まり、諸大名がこぞって正宗を求めた。あまりの人気に正宗の数が足りなくなり、各地で偽物が作られたといわれている。明治時代には、武将に与える恩賞に困った秀吉が、刀剣の鑑定家・本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)と共謀して作り上げた虚構のブランドであり、正宗は実在しなかったという説がささやかれたこともある。 名匠といわれるほどの人物には逸話が多いものだ。 正宗にまつわる逸話をもう一つ紹介しよう。 正宗の父も刀匠だった。あるとき父は、京都に修業の旅に出たが、その留守中に火事を出し、家を失う。 正宗と母は、父を捜しに京都に向かうが、その途中、母も死んでしまった。残されたのは、唯一の手がかりである、父の残した日本刀だけ。 父を捜し出せぬまま、正宗は父と同じ刀匠の道に進むこととなった。ある日、師匠・行光が、正宗が大切にしている日本刀にふと目をやると、なんとそれは、自分が鍛えたものであった。父と子は、こうして再会したという。また、このとき父は、京都で再婚していたのだが、義母となる相手の女は突然現れた前妻の子の正宗に家の財産をとられるのではと心配し、正宗につらくあたった。しかし正宗は、義母が病気で倒れたときには水垢離(みずごり)をして快癒を祈り、暴徒に襲われた義母をかばって背中を斬られたこともあったといわれている。これらの逸話のほとんどは、後世の人聞が作った作り話とする説もあるが、たとえそうであっても、伝え聞く逸話は正宗を讃える話ばかり。努力と親孝行の人であったのは間違いないのではないだろうか。

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「天下三槍」

December 15, 2017 admin 0

戦国時代に盛んに使用され、多くの作品が制作された槍。なかでも天下三槍と称された槍がある。蜻蛉切、日本号・御手杵の3本だ。ここでは黒田家に伝わる日本号を紹介しよう。  <日本号>にほんごう・ひのもとごう   正式名称・・・大身槍 名物日本号   作者・・・金房 槍を手がける刀工であれば、一度は日本号の写しに挑戦するといわれるほど美しい名槍で、現在も多くのレプリカが制作されている。現在の柄の部分は青貝螺細貼拵が付属しているが、当時は熊毛製の毛鞘に総黒漆塗の柄が用いられたという。織田信長や豊臣秀吉、福島正則の手を経て、黒田家家臣・母里太兵衛が有することとなった。

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「天皇と御物」

November 15, 2017 admin 0

歴史上の偉人達が愛した刀。明治以降、政治的な権力が天皇へと戻るとともに、多くの名刀が天皇家へと献上された。ここでは皇室の庇護下におかれた名刀をとり上げる。  <獅子王>ししおう         正式名称・・・太刀無銘黒漆太刀拵 平安時代の武士・源頼政が、妖怪の鵺を退治した褒美として、天皇家から賜った一振りと言う。重ねは薄く、身幅は低い。制作者は定かではないが平安期の大和物の特徴が出ており、名匠によって鍛えられたと推測される。時代と共に持ち主を変え、明治に入り焼く700年の時を越えて皇室へと戻った。  <一期一振>いちごひとふり         正式名称・・・刀額銘吉光(名物一期一振)         作者・・・粟田口吉光もとは越前朝倉家に代々伝わる名刀だった。作者は短刀の名手として名高い粟田口吉光。 彼が生涯で一本だけ鍛えた太刀のため「一期一振」と呼ばれる。後に豊臣秀吉の所有となり、その際に秀吉の身長に合わせて刃長を短くしたとも。幕末に孝明天皇に献上された。現在も御物として宮内庁が管理している。