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「魂」から生まれた作法、礼法

June 5, 2018 admin 0

「打刀」と「脇指」その両方を帯刀する「大小」の習慣が生まれたのは、天正年間のことと言われているようです。その後、間も無くして新刀期と呼ばれる時代に入っていくとされています。大小は、江戸時代になる頃には武士の儀礼とされていたようで「大小拵え」と呼ばれるように、柄・鐔・鞘などの外装を整えるような習慣ができたようです。また、外出時には常に帯刀し、家でも座の近くの刀架に掛け、トイレなどの時にも脇指を携えたほど、肌身離さずの道具とされていたようです。しかし、中には刀を置くべき場所が決められていたのもわかってきているようです。それは、蹴鞠の場、風呂、貴人のそば近くに伺候する場では、打刀を差さないのが作法とされていたようです。また、茶席などは脇指なども帯びず、丸腰で入るのが作法とされていたようです。そういった場合は、待合にある刀掛けに掛け、その座の主人は自分の小者に渡し、脇指は客の刀の下に立てかけるのが作法とされていたようです。武士の刀剣の礼儀作法で重要視すべき点は、他人の佩刀を見る時にあると言われているでしょう。現在でも、所蔵の刀などを見る際の様々な作法にこの礼は受け継がれていると言われていますが、相手が刀を出して見せたら、すぐに自分の刀を出して相手の脇に置き、相手を丸腰にさせないという礼儀でしょう。刀は、身分証であるより先に、武士の護身具であり、それより先に「魂」とされたことで、いかなる時も相手の武士への礼を疎かにせず、形式張った作法が重要視され、また、守られてきたのではないでしょうか。その精神性は、現在でも「剣道」や「居合道」のうちに、作法・礼法が生きていなければならないのではないでしょうか。

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日本刀の鑑賞のポイント

March 13, 2018 admin 0

日本刀を鑑賞するうえでおさえておきたいのが、「地肌(「地 がね 鉄」と表現することもある)」である。 地肌とは、折り返し鍛錬を行うことによってできる「地(焼き入れされていない部分)」の模様のこと。一見何の模様もないように見える「地」だが、よく見てみる と、日本刀一本一本に、独特の模様が存在する。これは、炭素の量の異なる材料を 組み合わせて折り返し鍛錬を行うことで生じる模様で、炭素が多い部分が黒っぽく 見えるために生じる現象である。 材料となる鋼をどのように折り返して鍛えるかによって模様が決まることから、 作られた時代や地域を知る手がかりの一つになる。 いためは「板目肌」「杢目肌」「柾目肌」「綾杉肌」「梨子地肌」などに大別されるが、溶かし いがた た鉄を鋳型に流し入れて作る鉄製品には決して見られない独特の模様であり、日本刀鑑賞の醍醐味ともいえる。

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枕刀

February 4, 2018 admin 0

古くから、日本刀は「魔除け」の意味をもつ。『源氏物語』にも、光源氏が悪霊にとりつかれる気配を感じて目を覚ますと、灯も消えてしまって気味悪く思ったので、魔除けのために太刀の鞘をはらって置いたという一節がある。この時代にも、刀剣に込められた霊力が信じられていたことを物語っている。 現代でも、日本刀のもつ魔除けの力を尊ぶ風習が残っている。 地域や宗派にもよるだろうが、家族や親戚など近しい人を亡くしたことがある方は、故人を安置した布団の上、納棺したあとは枢の上に、刀が置かれているのを見たことはないだろうか。これは「枕刀(まくらがたな)」といって、魂の抜けた故人に悪霊が近寄ってこないようにするための守り刀である。葬儀社が用意してくれる小刀を使うのが一般的だが、故人が生前大切にしていた 愛刀や、誕生のときに授けられた守り刀を枕刀として葬儀で使用されることもある。

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名匠・正宗

January 17, 2018 admin 0

少しでも日本刀に興味のある人なら、「正宗」の名を知らない者はいないのではないだろうか。鎌倉時代末期に相模国(神奈川県)鎌倉で活躍した刀匠といわれるが、その経歴には謎が多い。 正宗は、在命中はそれほどの評価を得ておらず、死後、豊臣秀吉によってその名が広まり、諸大名がこぞって正宗を求めた。あまりの人気に正宗の数が足りなくなり、各地で偽物が作られたといわれている。明治時代には、武将に与える恩賞に困った秀吉が、刀剣の鑑定家・本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)と共謀して作り上げた虚構のブランドであり、正宗は実在しなかったという説がささやかれたこともある。 名匠といわれるほどの人物には逸話が多いものだ。 正宗にまつわる逸話をもう一つ紹介しよう。 正宗の父も刀匠だった。あるとき父は、京都に修業の旅に出たが、その留守中に火事を出し、家を失う。 正宗と母は、父を捜しに京都に向かうが、その途中、母も死んでしまった。残されたのは、唯一の手がかりである、父の残した日本刀だけ。 父を捜し出せぬまま、正宗は父と同じ刀匠の道に進むこととなった。ある日、師匠・行光が、正宗が大切にしている日本刀にふと目をやると、なんとそれは、自分が鍛えたものであった。父と子は、こうして再会したという。また、このとき父は、京都で再婚していたのだが、義母となる相手の女は突然現れた前妻の子の正宗に家の財産をとられるのではと心配し、正宗につらくあたった。しかし正宗は、義母が病気で倒れたときには水垢離(みずごり)をして快癒を祈り、暴徒に襲われた義母をかばって背中を斬られたこともあったといわれている。これらの逸話のほとんどは、後世の人聞が作った作り話とする説もあるが、たとえそうであっても、伝え聞く逸話は正宗を讃える話ばかり。努力と親孝行の人であったのは間違いないのではないだろうか。

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「天下三槍」

December 15, 2017 admin 0

戦国時代に盛んに使用され、多くの作品が制作された槍。なかでも天下三槍と称された槍がある。蜻蛉切、日本号・御手杵の3本だ。ここでは黒田家に伝わる日本号を紹介しよう。  <日本号>にほんごう・ひのもとごう   正式名称・・・大身槍 名物日本号   作者・・・金房 槍を手がける刀工であれば、一度は日本号の写しに挑戦するといわれるほど美しい名槍で、現在も多くのレプリカが制作されている。現在の柄の部分は青貝螺細貼拵が付属しているが、当時は熊毛製の毛鞘に総黒漆塗の柄が用いられたという。織田信長や豊臣秀吉、福島正則の手を経て、黒田家家臣・母里太兵衛が有することとなった。

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「天皇と御物」

November 15, 2017 admin 0

歴史上の偉人達が愛した刀。明治以降、政治的な権力が天皇へと戻るとともに、多くの名刀が天皇家へと献上された。ここでは皇室の庇護下におかれた名刀をとり上げる。  <獅子王>ししおう         正式名称・・・太刀無銘黒漆太刀拵 平安時代の武士・源頼政が、妖怪の鵺を退治した褒美として、天皇家から賜った一振りと言う。重ねは薄く、身幅は低い。制作者は定かではないが平安期の大和物の特徴が出ており、名匠によって鍛えられたと推測される。時代と共に持ち主を変え、明治に入り焼く700年の時を越えて皇室へと戻った。  <一期一振>いちごひとふり         正式名称・・・刀額銘吉光(名物一期一振)         作者・・・粟田口吉光もとは越前朝倉家に代々伝わる名刀だった。作者は短刀の名手として名高い粟田口吉光。 彼が生涯で一本だけ鍛えた太刀のため「一期一振」と呼ばれる。後に豊臣秀吉の所有となり、その際に秀吉の身長に合わせて刃長を短くしたとも。幕末に孝明天皇に献上された。現在も御物として宮内庁が管理している。

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協会の認定書

October 3, 2017 admin 0

協会の認定書というものはあくまでも信頼のおけるものだという考え方は持って頂かなければいかないけれども、それと同時に自分自身も勉強して、納得のいく刀を集めるなり、あるいは勉強するなりしてするということが必要じゃないかと思います。銘のあるもも難しいが、さらに難しいのは銘のない刀で、これは一体だれか―と決めることが難しい。時代、系統まではわかっていても個銘というものがわからぬものは当然なんです。ところが、一般の人々の要求するところはどこかというと、「これは鎌倉時代の、あるいは室町時代の備前物でございます」というと、承知しないのです。無銘でも名刀であれば、個性がはっきりと出ているから、それは決められる。名刀出ないものはとても決められるものではないんです。それをいちいちそういうものに名前をつける。そこに無理があるのです。なかには国と系統というものがわかっていても、その他に時代が、やや問題になるようなものもある。それから国もいろいろ検討しても問題になって割り切れないものもある。それを相談によって、これは何の誰それであるというように決めるのですが、そこに多少ならざる無理が起きる。と同時に他の人がみると違うのではないかという別の意見あ起こる場合がある。

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研師

September 1, 2017 admin 0

研師というのは、ただ研ぐというのではなく、刀の持ち味、つまり特徴を活かすために、ある程度工作するんですからね。押さえてみたり出してみたり。その工作のなかで自然に出た物は割合見やすい。つかみやすいですが、出ないから無理をして出すと刀そのものの持ち味がなくなってしまうのです。最近の研師は忙しい。愛刀家が増えたこともあるが、一つは重刀の審査の影響がありますね。研ぐのはもったいないというのですが、やはり審査等の場所に出すときにはメークアップしなければいけないんですね。それから、最近の研師への注文は、研が派手な・・・というのが多いですね。刀を見るのには本当は太陽光線と言おうか、自然の光、それも北の光線が一番いいのです。刀がしっとりと落ち着いて見えます。しかし今は、昔式のさしこみ研などという、地味な玄人好みの研を注文する人は少なくなりました。ほとんどは地を黒く刃を白くという、見た目に華やかなものが一般的に好まれます。

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鉄砲切り兼光[てっぽうぎりかねみつ]の日本刀

July 13, 2017 admin 0

鉄砲切り兼光[てっぽうぎりかねみつ]の日本刀は、上杉謙信の愛刀です。戦いの中で、一人の武将を斬り伏せると、鎧や兜、さらには、 武将が所持していた鉄砲までもが断ち斬られたといわれている。いずれも荒唐無稽な逸話のようではあるが、なまじっかな斬れ味では、現代 まで語り継がれるような伝説がつくられるはずもない。真に優れた名刀であること は間違いないだろう。

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実在しないが、人気の太刀

July 12, 2017 admin 0

村雨(むらさめ)・・・滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」に登場する想像の太刀である。「抜けば玉散る氷の刃」と言われ「村雨」あるいは「村雨丸」と言われる太刀で、八犬士の一人・犬塚信乃が所有する太刀である。 その他物語に登場する日本刀としては、「国定忠治」の「加賀五郎吉兼」、 「丹下左膳」の「乾雲丸」「坤竜丸」等が有名である。