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協会の認定書

October 3, 2017 admin 0

協会の認定書というものはあくまでも信頼のおけるものだという考え方は持って頂かなければいかないけれども、それと同時に自分自身も勉強して、納得のいく刀を集めるなり、あるいは勉強するなりしてするということが必要じゃないかと思います。銘のあるもも難しいが、さらに難しいのは銘のない刀で、これは一体だれか―と決めることが難しい。時代、系統まではわかっていても個銘というものがわからぬものは当然なんです。ところが、一般の人々の要求するところはどこかというと、「これは鎌倉時代の、あるいは室町時代の備前物でございます」というと、承知しないのです。無銘でも名刀であれば、個性がはっきりと出ているから、それは決められる。名刀出ないものはとても決められるものではないんです。それをいちいちそういうものに名前をつける。そこに無理があるのです。なかには国と系統というものがわかっていても、その他に時代が、やや問題になるようなものもある。それから国もいろいろ検討しても問題になって割り切れないものもある。それを相談によって、これは何の誰それであるというように決めるのですが、そこに多少ならざる無理が起きる。と同時に他の人がみると違うのではないかという別の意見あ起こる場合がある。

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研師

September 1, 2017 admin 0

研師というのは、ただ研ぐというのではなく、刀の持ち味、つまり特徴を活かすために、ある程度工作するんですからね。押さえてみたり出してみたり。その工作のなかで自然に出た物は割合見やすい。つかみやすいですが、出ないから無理をして出すと刀そのものの持ち味がなくなってしまうのです。最近の研師は忙しい。愛刀家が増えたこともあるが、一つは重刀の審査の影響がありますね。研ぐのはもったいないというのですが、やはり審査等の場所に出すときにはメークアップしなければいけないんですね。それから、最近の研師への注文は、研が派手な・・・というのが多いですね。刀を見るのには本当は太陽光線と言おうか、自然の光、それも北の光線が一番いいのです。刀がしっとりと落ち着いて見えます。しかし今は、昔式のさしこみ研などという、地味な玄人好みの研を注文する人は少なくなりました。ほとんどは地を黒く刃を白くという、見た目に華やかなものが一般的に好まれます。

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鉄砲切り兼光[てっぽうぎりかねみつ]の日本刀

July 13, 2017 admin 0

鉄砲切り兼光[てっぽうぎりかねみつ]の日本刀は、上杉謙信の愛刀です。戦いの中で、一人の武将を斬り伏せると、鎧や兜、さらには、 武将が所持していた鉄砲までもが断ち斬られたといわれている。いずれも荒唐無稽な逸話のようではあるが、なまじっかな斬れ味では、現代 まで語り継がれるような伝説がつくられるはずもない。真に優れた名刀であること は間違いないだろう。

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実在しないが、人気の太刀

July 12, 2017 admin 0

村雨(むらさめ)・・・滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」に登場する想像の太刀である。「抜けば玉散る氷の刃」と言われ「村雨」あるいは「村雨丸」と言われる太刀で、八犬士の一人・犬塚信乃が所有する太刀である。 その他物語に登場する日本刀としては、「国定忠治」の「加賀五郎吉兼」、 「丹下左膳」の「乾雲丸」「坤竜丸」等が有名である。

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日本刀の名刀「村正」

June 21, 2017 admin 0

切れ味のみを追求した刀として知られる村正。 伊勢国(三重県)で活躍した刀匠です。「村正」を名乗ったのは一人ではなく、室町時代から江戸時代初期までの間に、三代は続いていたとみられています。徳川家を祟る妖刀村正の逸話は有名です。

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亡き人に贈る日本刀

June 19, 2017 admin 0

「枕刀」・・・亡き人に贈る日本刀 現代でも日本刀の持つ魔除けの力を尊ぶ風習が残っている。 人がなくなった時に納棺したした柩の上に、刀が置かれているのを見たことがある人がいるであろう。これは「枕刀」といい、魂の抜けた故人に悪霊が近寄ってこない様にするための”守り刀”である。

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正宗の日本刀

June 18, 2017 admin 0

人柄も腕も天下一品で、日本刀の名刀として有名なのが「正宗」の日本刀。 伝え聞く逸話は正宗を讃える話ばかり。努力と親孝行の人であったのは間違いなさそうです。

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槍(やり)・・・斎藤道三

June 8, 2017 admin 0

「美濃の蝮」と呼ばれた斎藤道三は「下剋上のキョウ雄」として知られ、又美濃国(岐阜県南部)でも屈指の槍の使い手としても知られている。合戦で多くの兵を殺傷したのは弓矢だといわれるが、遠くから射た矢で大将をを倒したのでは、首級が取れない。その点槍は遠距離から敵を突き、薙ぎ払い、倒したその場で刀を使い首を取ることができる。道三は槍の猛稽古に励み、戦場に出れば敵の死体が山をなし、この武勲によって、世に名を知らしめることにつながったとも言われる。  また道三は、自分の槍をとても大切に扱った。湿気で腐ったり錆びたりしない様に、節をくり貫いた竹にいれ、布袋に包んでから、軒下で保管した。この話を聞いた領主は、道三の心掛けをたいそう褒め称えたという。

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典厩割国宗(てんきゅうわりくにむね)・・・上杉謙信

June 5, 2017 admin 0

この太刀は、川中島の戦いで武田信玄の実弟であり武田軍の副将・典厩信繁を討ったとされる、上杉謙信の愛刀であったが、常陸国(茨城県)の大名で、謙信と共に小田城の戦いで小田氏治を破った佐竹義重の手に渡る。謙信は義重が武功を立てたことを喜び、「これからも、わが軍の助けとなってほしい。これは老後の杖代わりにするつもりであったが、わが魂と思い、是非受け取ってもらいたい」と一振りの太刀を与えた。これが、備前国(岡山県南部)の刀匠・三郎国宗作・典厩割国宗であった。義重は大いに喜び佐竹の家宝として大切にした。  佐竹家では代が変わり、当主となった長男・義宣はこの太刀を磨り上げ、脇差にしてしまった。鋒(きっさき)が切られており、鋒を切るのは日本刀にとり絶対のタブーである。鋒をきれば「帽子」がなくなる。帽子とは鋒部分の焼刃の事で、帽子がなくなることは、鋒の焼刃がなくなるということ。これは日本刀のとっては致命的である。義重は、日本刀の魂が失われてしまったと、大層悲しんだといわれる。